フィリア





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細波の様な声を断つ木槌の音が響き、静粛を求めた壇上の裁判官が厳然とした声色でもって罪状を告げる。
断罪への道程は余りにも予想通りで、正式な咎人の烙印を負った男は思わず口端に笑みを浮かべ掛けたが、傍聴人らの手前滲み出そうになる自嘲を噛み締め目を閉じた。

相手側の戦略は見事で、戦ったところで負ける事を彼は最初から充分過ぎるほどに知っていた。
そもそも、これが戦いですらないことも。

自分の首を切り落としてサロメに差し出す所業を、彼の相棒であり上司でもある友人が「救いようのない馬鹿の停止法」と揶揄したのは流石長年の付き合いである彼女だな、と感心したものだ。
事実、彼女は裁判で名誉毀損罪が適用される遥か以前、男が問題となった記事を発表すると云った時点で「暫く塀の中で頭を冷やせ」と助言してくれた。
持つべき者は、気心の知れた相棒である。

男はぼんやりと共同経営者である彼女に、おそらくは彼女の生涯で初めてだろう黒星を贈呈してしまったことを申し訳なく思った。
尤も、彼女ならそれすらも踏み台にし、楽しむ術を持っていそうだが。

判決文の入った飴色の革フォルダを手に、裁判所の正面入り口の回転ドアに手を掛ける。
さて、ここからが総決算だと彼は自嘲でない方の柔らかな微笑を装填し、じめじめと薄暗く、趣があると云えば嘘ではない建築構造の古めかしい法廷から真冬の空の下へと踏み出した。

ドアの外、裁判所前の階段には各メディアの記者たちが、国内大手企業である【Las Noches】に無謀な戦を挑んだ経済ジャーナリストの傷口を確認すべく列を成している。
判決文の内容は既に周知されている筈で、つまり彼は今から切り落とした自身の首を銀の皿に載せて、自分と同じ立ち位置に居るはずの記者連中へ恭しくそれを饗する義務を負っていた。

回転ドアが稼働し、押し出されるようにその身を外気に晒すと、鉛色の重い空が目に入った。
そう云えば昨日聞いたラジオで、今夜から今期一番の寒波が南下してくるとの予報が告げられていた事を思いだし、咎人である男はコートの前を掻き合わせた。

視界の端でフラッシュが瞬いたのと同時に、男を取り囲んだ大勢の記者達の口から矢継ぎ早に質問が投げられる。
少数精鋭の人員構成による極めて小規模の出版社ながらも、鋭い切り込みと理論付された記事でその社名を冠した経済雑誌の発行部数を順調に伸ばし、経済誌を通して資本主義のこれからに、またジャーナリズムの可能性に新たな一石を投じる役目を果たす存在に為りつつあった出版社の発行責任者及び共同経営者に名を連ねていた人物に対して、名誉毀損罪での有罪判決が確定したのだ。
集まった記者達は、同胞と呼べるジャーナリストに対して、容赦無くマイクを向け、カメラのシャッタを切った。

「浦原さん、今回の裁判での敗因はやはり入手情報の齟齬ですか?」
「今回の判決を受けて、御社【#2-twelve】の発行責任者から退かれる意向はありますか?」
「【Las Noches】代表のバラガン氏に対する謝罪コメント等は御社の雑誌に掲載されるのですか?」
「今のお気持ちをお聞かせ下さい!」

ずい、とボイス・レコーダを突き付けて、罪人であることが確定した雑誌【#2-twelve】の発行責任者・浦原喜助に現在の心境を尋ねたのは、普段から胡散臭い記事ばかりをけばけばしい言葉で書き立てている三文ゴシップ週刊誌の記者だ。

『今のお気持ちは?』
何時の時代も使い古されたそのフレーズは、記者の頭の軽量さを推し量るに充分な言葉で、周囲のベテラン記者から失笑が零れた。
相手の考え・能力を知るのに必要なのは、問に対してどう答えるかではなく、何を質問してくるかという事だ。
浦原は、口端に柔らかな笑みを、目に仄かな嘲笑を穿いてゴシップ記者を一瞥すると、その質問を黙殺して周囲を見渡した。

「来週には師走を控えた忙しい最中に、皆さんわざわざドウモ。…オヤ、御無沙汰してますね、ソサエティ通信さん。カラクラジャーナルさんに、タブロイド紙の方も。SNNは…ああ、後ろのほうにいらっしゃいましたか。ええと、貴女は確か]TVの…」

今しがた馬鹿な質問をした記者の傍らに、すらりとした長身の女性記者が引き締まった表情で浦原を見据えている。
気の強そうな整った顔立ち。ニュース番組のアンカーマンの補佐役として、今年の春から見るようになった顔だ。
襟元にファーのあしらわれたシックなコートに身を包んだ彼女は、番組では武器として装備している胸元を流石に今日は寒風に晒すことはしない様で浦原にマイクを向けた。

「]TVの松本です。今回の判決は禁固六ヶ月、罰金六百五十万環。非情に痛手ですね」
「そうですね…なんとか乗り越えていきますよン」
「バラガン氏に謝罪する意向は?また和解の方向はあり得ますか?」
「謝罪・和解はあり得ませんねぇ。罪状はともかく、【Las Noches】の企業倫理に関する自分の見識は間違っているとは思わないので」

浦原が肩を竦ませながら微笑みかけ、彼女のコートの襟にあしらわれているファーはシルバー・フォックスだろうか?と、そんなことを考えた時、後ろの方から割り込むようにして他の記者の質問が飛んだ。

「つまり、貴方は依然として【#2-twelve】の七月号に掲載された御自身の記事は正当であり、【Las Noches】のバラガン氏はアンダーグラウンドでの違法取引によって巨額の非課税資金を所有している詐欺師だと仰るのですね?」

腕を目一杯に伸ばして、マイクを向けてくる自身と同年代…おそらくは三十半ば程の新聞記者に、浦原は目を眇めて口を開く前に一呼吸置いた。
それは質問というよりも、誘導尋問に近い。つまりは、返答如何で明日の朝刊に【#2-twelve】にとって致命的な見出しが踊る事にも為りうる類の問い掛けだった。
浦原は慎重に、玉虫色の解答を口にした。

「自身の立場に於いて情報を記事として公開する正当な理由があっての行動を執ってきましたが、あの記事の正当性は今日の判決で皆さんに対して充分に知れ渡ったことと思います。今回の事に関しては、此方側の主張に沿わない判断を下した司法の結論を結果として受け入れざる得ません。判決結果を編集部に戻って話し合った上で、今後の対応を別途皆さんにご報告させてイタダキマス」
「今回の件は、御自身のジャーナリストとしての裏付けが不十分だったということですね?」

うつくしい顔を曇らせた]TVのレポーターが、的確に痛いところを突いてくる。
その問い掛けに対して苦笑で答えた浦原は、もう少しで「多分、アタシは記者に向いて無いんスよ」とうっかり本音を零してしまうところだった。
そんなコメントが二十一時のニュースで報じられてしまったら、自社の共同経営者に名を連ねる豪腕編集長でもある女傑に張り倒されてしまうことだろう。

その後の数分間、他の幾つかの質問に、そつない返答をした浦原に対して、先ほど松本と名乗った]TVのリポーターが裁判所の正面扉前に立つように求めて、インタビューを始めた。
彼女の質問内容は無駄が無く的確で、他の記者達が知りたかった答えにも充分に添う内容だった上に、何よりも有り難かったのは、同業者である浦原に対しての思慮が感じられる態度であったことだ。

この件はおそらく、浦原自身が思っている以上に大々的に報じられるだろう。
だがそれもきっと次に来る何か新しいスクープまでの間だけだと言い聞かせ、浦原は他の同業者等の取材にも相手の気が済むまで紳士的に付き合って、彼らが幾分か満足し始めたところで曇天からひらりと白いものが落ちてきたタイミングを逃すことなく、冷え切った頬を引き攣らせないよう笑みを張り付けたまま取材陣から離脱した。











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