形骸ノ歳時記





§・§・§



ふと、雨音が強まった気配に浦原は目を覚ました。
既に陽が沈んで、部屋の中は真っ暗であった。
手探りに枕元のランプを捜し、燐寸を擦って灯を点ける。
ひんやりとした部屋が、橙の炎に包まれた。

窓の外からは、相変わらず雨の音がしている。
昨日、隣家のテッサイ氏に貰った蕗の薹味噌で冷や飯を食べようと思っていたが、今更そんな気にもなれず夕餉を食べ損ねた…と諦観しながら、浦原は傍らに投げ出されていた和綴じの本に手を伸ばした。

と、何処かで鳥の羽ばたく音。
何処か、というかその羽ばたきの気配は至極、近い所からで。
浦原は首を巡らせて、窓の外ではなく寝床にしている座敷の床の間を見遣る。

目を凝らせば、ランプの灯りに浮かび上がる床の間にある掛け軸に描かれた鷺が、羽を広げて絵の奥へと飛び立つのが見えた。
掛け軸に描かれているのは、湖の山水画で、もとよりこの家にあった代物である。浦原には絵画を愛でる高尚さも無ければ、掛け軸を買うほどの甲斐性も無い。
鷺が羽音を羽ばたかせて飛び去った掛け軸の中では、蕭々と雨が降っている。
雨に霞む湖の向こうから、一艘のボートが近づいて来た。
漕ぎ手は、若い男だ。

「おやまァ…」

間抜けな声をあげて、浦原は布団から身を起こす。
ガタガタ、と音を立てて掛け軸からボートの舳先が床の間に乗り上げた。

「ああ、思ったより濡れちまった…」

髪の滴を払いながら、小倉袴を穿いた書生姿の男がボートから床の間に降り立ち下駄を脱いでいる。
見たこともない様な彼の髪の色は、ランプの灯りの所為でなくとも鮮やかな橙色をしている。

あまりの出来事に暫し呆然としていた浦原だったが、口から出た言葉は図らずも家守としての立場を弁えた一言。


「床の間が、傷んじゃうじゃないですか」

布団から上肢を出した姿勢で非難する浦原の声に、青年は雨露を払っていた手を止めると目を瞬かせた。

「っと、悪りィ…ていうか、アンタ誰だ?」

下駄をボートの舳先に置いて、床の間から畳に裸足の脚を降ろした青年は浦原の布団の傍らまでやってきて、胡座を掻いた。

「アタシは浦原喜助と云います。この家の主・黒崎一心サンの依頼で、此処で家守を」
「親父が?」

布団の上で青年に向かい合って座した浦原は、彼の口から零れた呟きに首を傾げた。

今、彼は一心のことを「親父」と云わなかっただろうか?
思い当たる人物は一人しかいない。尤も、浦原自身は全く面識のない人物ではあるが。

「もしかして、黒崎一護サン…?」











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