夜一さんは煙草2カートンで図書館の奥の閉架書庫に寝泊りする権利を貸してくれた。
夕方,バイトに行く前には自分の住む部屋でシャワーを使っていいとまで云ってくれた。
一護は言葉少なに感謝を伝えて,夜一が使う錆びた大型の鉄製の鍵と四つの南京錠の鍵のスペアキーを受け取った。
それが四日ほど前。
それより前の三日間ほどはビリヤード場で知り合った赤毛の同い年の男の部屋にいた。
その前一週間は京楽の部屋。
家出をして最初の一週間はやっぱりビリヤード場で知り合ったその場限りの友人たちの部屋を転々としていた。
つまり,一護が浦原と暮らす部屋を飛び出してから今日で三週間目,ということになる。
夜一によると石田は現在遠方の山間の街で療養中だとかで染みのついた白いカヴァのかけられたソファは一護の専用となっていた。
そこに横たわり指折り日数を数えて一護はため息を吐いた。
そろそろ,限界だった。
本当は限界なんてものじゃない。
そんなことを暢気に云えたのはここに転がり込む前くらいが本当に限界だった。
それでも夜になれば幾分マシだ。
昼日中はたとえ外に出なくても身体は鉛を仕込まれたように重たく,絶えず身を苛む飢えもそのキツさを増していた。
かさかさに乾いた唇を舌で湿らそうとする。
しかし唾液すらまともに分泌されていないのか妙に粘ついた感触がするだけで不快感が更に募る。
闇の中,掌を天井にかざす。灯りを点していないためその姿は目に映らなかったが,三週間前よりも確実に窶れ,筋の浮いたみっともない手がそこにあるのがわかる。
何を食べても,何を飲んでも決して癒されることのない飢え。
しかしそれは一護の存在の証明でもあって,逃げて逃げ切れるものではなかった。
馬鹿,だよな。
自嘲の笑みを浮かべる。
しかしそれは浮かべたと思っているだけで,多分顔は,呆けたように表情など浮かべてはいないだろうことがわかる。
手を握り締め,目を瞑る。
心なしか深まったように感じられる闇の中,ひとりの男の姿が浮かんだ。
自分の飢えを癒すことができる唯一の存在。
そして一護が自分の追い詰めてまで逃げ回っているのも同じ男からだった。
浦原―――。
声には出さず,名を呼ぶ。
こうして家を飛び出すのは一体何度目のことだろう。
その都度,後悔を重ねる。でも,そうせざるを得ない事情が一護にはあった。
浦原,浦原,浦原―――。
名を呼ぶたびに会いたさが募る。
顔が見たい。手を触れたい。何よりもこの飢えを満たして欲しい。
自分の勝手で逃げ回っているくせに,いつも極限まで追い詰められると思いは浦原へ向かっていく。
結局のところ,自分は浦原に甘え切って依存している,そういうことなのだろう。
「浦,原ぁ…」
がさがさにひび割れた声が,空気を微かに振動させる。
「遅い」
闇の奥から,声。
まさか,と思うと同時に,やっぱり。
そう思った。幻聴じゃない,と確信していた。
いつもそうだったから。
自分が音を上げると,どこかでずっと見ていたんじゃないか,そう思わせるようなタイミングで浦原は姿を現す。
現実に,今も,ほら…。
頭のすぐ上,ソファの肘掛がぎし,と小さく軋んだ。
続いて額に暖かな手が触れる。
普段はひやりと感じるそれも,一護の体力が落ち切って体温すらまともに保てなくなっている今,何よりも暖かく感じられた。
そのぬくもりに擦り寄るように一護は身じろぐ。
「降参,してくれる?」
掌に瞼を覆われ,その上にちゅ,と口付けが落とされる。
懇願のかたちをとりながらも言外に「かくれんぼはもうオシマイ」と告げられた。
その声は糖蜜のように甘く,そして水面に浮かぶ波紋のように広がり,一護は泣きそうな心地で安堵の息を漏らす。
のろのろと手を持ち上げ,浦原の首に巻きつける。そのままそっと引き寄せ,耳元に
「連れてけ」
そう囁いた。
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