BREAK THE SPELL 後編
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呆然としている場合ではない。
そう思うのに,頭が少しも回らない。
声も出せずに居る一護は促されるままヘリコプターに乗り込み,黒い戦闘服に身を包んだ細身の男から簡単な傷の手当てを受けた。
位置のせいかなかなか血が止まらず,若干貧血気味でもあった。
しかしここで気を失うわけにはいかない,と気力だけで意識を保っていた。
傷の手当を終えると,戦闘服の男は操縦席横の座席へと戻り,その場には一護と日番屋だけが残された。
幸い,というか,ロータの回転音がけたたましく会話ができるような状況にない。
今のうちにできる限りの状況の把握と今後の方針について考えなければ。
そう思うのに,まるで麻痺したように頭が動かない。
そんな一護に向け,日番屋は傍らの壁面から遮音性の高いヘッドフォンのついたヘッドセットを放り投げた。
膝の上に落ちたそれを,のろのろとした動作で装着すると,傷口に触れてしまい顔が歪んだ。
それでもなんとかヘッドセットを装着すると,耳を劈くような騒音が消えた。
そのことに安堵する間もなく,日番屋の手が左側のアーム部分にあるスイッチを指さしたので,それに従うと「鳩が豆鉄砲食らったような顔してるんじゃねえよ」と懐かしい声がした。
一護がぎこちなく表情を和らげると「傷口にはあんま触るなよ。あくまで仮処置だ」と労わる声がした。
「…何がどうなってんのか,教えてくれるか」
絞り出すようにして声を出すと,日番屋は「そりゃこっちの台詞だ」げんなりした風に顔を顰めた。
それでも一護が口を開くきっかけをくれようとしているのか,決して小さくはない溜息を吐いた後,最初の問いを口にした。
「お前,自分が助けた相手が誰か知ってんのか」
「優秀なネットワーク関連の技術者だってことだけ」
日番屋は素っ気なく頷いた。
「アイツはな,元十二番隊の隊員だ」
なるべく表情に出さないようにしようとしていたのに,思わず顔が強張ってしまう。
十二番隊ということは,浦原が嘗て率いていた部隊だ。ということはつまり…。
「つっても,在籍年数は短い。優秀っちゃ優秀だけど,如何せん涅と相性が悪くてな。阿近がかなりフォローしてたみたいだが,それでも半年前に大喧嘩して辞めてった。十二番隊に居たのは二年ほどだ」
「そいつがなんでこんなところに居るんだ」
「涅への意趣返しだろ。自分の方が優秀だってところを見せつけてやろうと海を渡ったはいいが,頭の中身を狙われてこのザマだ」
「護廷の情報が狙われた?」
一護の言葉に日番屋は頷いた。
「涅は奪われたところで大した被害にはならないと嘯いていたし,隊長間でも救出に向かうにはリスクとの折り合いがつかないと慎重案が優勢だった。そこに口を挟んできたのがあの男だ」
あの男というのは浦原のことだろう。
一護が口を噤んだまま話の先を促すように日番屋を見ると,日番屋の眉間にくっきりと皺が刻まれた。
「つっても俺は詳しいことは知らねえ。あの男と直接やりとりしたのは京楽と浮竹の二人だ。あの二人が決めて,許可を出した。大方お前を連れ回す代償とか,そんなところだろ」
大まかに状況が把握でき,一護は小さく息を吐いた。
安堵というよりも,腹の底で重たく蟠る感情を少しでもなんとかしたくて。
伏せていた目を上げて日番屋を見つめ,小太りで小柄な情報技術者の安否を尋ねた。
日番屋は気にするのはそこかよ,という風に片方の眉を跳ね上げたが,ため息交じりに「傷ひとつ追わずに保護されたぞ。お手柄だったな」と教えてくれた。
今度はこっちの番だとばかりに日番屋が真央霊術院を出てからのことを尋ねた。
どこまで話してよいものか迷い,躊躇ったが自分を見つめる日番屋の眼差しを受け止めて腹括った。
一護の異動を他の隊長たちから聞いたときの日番屋は傷ついていたように見えた。
蔑ろにしたつもりはないのだ。巻き込みたくなかったのだ。
そう告げたかったが,それすらできないまま「いつか話せる時が来たら話す」とだけ約束した。
その約束を守るときが来たのだ。
一護が話す間,日番屋は一言も口を挟まなかった。
十二年前,大怪我をした浦原が父親を頼って一護の家へやってきて,匿われたときのこと。
大学の卒業旅行に出かけたブラジルで再会したときのことも。
浦原が護廷十三隊を追われるに至った理由と,その後独行工作員として従事したいくつかの任務についても話した。
日番屋は微かに眉間に皺を寄せたまま,口を挟むことなく一護の言葉に耳を傾けていた。
「俺は,あの人を助けてやりたい。生かしたい。だから――」
「だからっつっていきなり単身渦中に飛び込むか普通」
日番屋は眉間に深い皺を刻んだまま,一護の軽率さを責めた。
何故最初に自分に相談しなかったのか,と。
「俺だけが動くんだったら,相談してた。正直俺にもあの人の動きは掴めねえし,何考えてんのかさっぱりわかんねえ。そんな状況に巻き込めねえだろ」
「…相談とか,報告とかねえのかよ。お前,あの男の為に動いてんだろ」
「事後報告…すらねえときもあるな」
改めて口にすると,顔が歪みそうになった。
よくよく考えてみればこの数か月浦原に振り回されっぱなしだった。
云われるがまま,子どもの遣いよろしくあっちへ行きこっちへ行き,その結果放り出されて。
腹の底に熱の塊が生まれるのを感じた。
怒りとも苛立ちともつかない感情のごった煮のようなもの。
しかしその一方で,情報員としてはヒヨコ未満の自分があれこれ考えたところで,能力的にも経験的にも浦原に敵うはずがないというのも理解していた。
自分に一番相応しい役目は「浦原をその気にさせること」だと。
浦原をやる気にさせて,自分で動かせる。浦原が動きやすいように,その手助けをする。それこそが自分にできる最善なのだ,と。
複雑な感情に顔を顰めたまま一護がそう説明すると,日番屋はやれやれ,という風にため息を吐き,傍らに置かれたミネラルウォータのボトルとポケットから取り出したピルケースを一護の方へと差し出した。
「もうじきヘリが着く。その前にコレ飲んどけ」
「何の薬だ」
「お前の意識を飛ばす薬。お前はココの怪我が酷くて救出したものの意識不明の重体。意識を取り戻した時には記憶障害が出てるって寸法だ」
ココの怪我が,のところでこめかみを指さしながら説明した。
飲んだら意識が飛ぶと云われて不安が顔に浮かんだのか,一護が口を開くより先に「用意したのは涅だけど,指示したのはあの男だ」とうんざりした口調でつけたした。
これもまた浦原の考えのうちだというなら,それに従うしかない。
一護がピルケースを開けて取り出したカプセルを口に放り込み,水のボトルを煽るようにして飲み下すと,視界の端で日番屋が痛ましいものを見るような眼差しを向けていることに気が付いた。
しかしその理由を尋ねる間もなく,激しい眩暈を感じ,意識がブラックアウトした。
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