祈りのボレロ





§・§・§



中学三年の夏。
周囲は受験一色で,一学期を終えて約一カ月の夏休みに入っても去年までのように遊び歩いたり倦むまで自堕落に過ごすことは叶わない。
大まかに志望校も決まっていて,成績はまあ足りている。
それでも,周囲からじわりじわりと押し寄せる圧力を感じないわけにはいかなかった。
家に居る時ですら父親は兎も角双子の妹たちの気遣いを感じ,……それをプレッシャーに感じることに自己嫌悪を覚えてしまう。
そんなつもりではないことは重々分かっているのに。

学校から受講を勧められた統一模試の帰り道,一護は会場から駅へと連なる自分と同じ受講者たちの流れからひとり逸れると,そのまま少し離れたモノレールの駅へと向かった。
モノレールはターミナル駅と東京のはずれにある国際空港を結んでいる。
飛行機を見に行こう。ふと浮かんだ思いつきは悪いものではなかった。

炎天下の中を十分ほど歩いて駅に到着した。
ほとんどの乗客は始発駅で乗車し,終点の国内線ターミナル駅かその三つ手前の国際線ターミナル駅で降りる為,ホームはがらんとしていた。
額に浮かんだ汗を拭い,自動販売機でミネラルウォータを買った。
蓋をねじ切り,喉を鳴らして飲み干しながら次の電車到着時刻を確認すると五分ほどでやってくることがわかった。

冷たい水が喉を通って胃へと落ちて行く。
心地よさに目を瞑ると,遠くから聞こえる蝉しぐれを耳が拾った。

間近から聞こえる中を歩いてきたはずなのに,少しも気づかなかった。
水のボトルに蓋をして,それを額に押し当てながら胸の裡を塞ぐもやもやとしたものを吐きだすように太い息を吐きだす。
なにをしているんだか。自分を責めるような色を帯びる考えを押し遣るようにして,終えたばかりの模試のことを考えた。
結果はあまり気にしていない。
どうしても解けなかった問題はなかったし,一通り見直す時間も取れたからそんなに悪い結果にはならないだろう。

生まれつき派手なオレンジ色をしている髪と,目つきが悪いせいで中学生になった辺りから自校他校問わず粋がった連中に絡まれるようになった。
自分から売った喧嘩ではない。避けようとしても避けられるものではなかった。だから買った。
それがばれて小学生の頃から通っていた空手道場の師範からは破門を言い渡された。
一護だけに非があるわけではないことは承知しているが,だからといって特例とすることはできない,と。
喧嘩は御法度。それは知っていたから一護も反論することなくこれまで世話になった礼を云って道場を去った。
腹の中に蟠るもやもやは,売られた喧嘩を買うついでに発散した。

そうするうちに頼みもしないのに名が売れて,下校時を狙って学校までわざわざ出向く輩が出てきた。
酷い時は十人近くが連れだって,校門のところで気勢を上げながら一護の名を喚く。
鬱陶しい,と裏門から帰ったこともあったが,そうすると気の弱そうな他の生徒を狙って絡んだりと性質が悪い。
教員が注意をしに行っても,多勢であることを嵩にきて喚き散らして話にならないとか。

一護の方から喧嘩を売り歩いているわけでは決してないと一定の理解を示してくれる教員も中には居たが,生徒指導を含む大半の教員は一護を問題児扱いするようになった。
絡まれないようにしろ。その頭の色をなんとかしろ。人を睨むような目つきを止めろ。
一方的に絡まれるのだとしても,絡まれる方にも何らかの原因があるのだ,と。
絡んでくる方へは等閑な対応しかしないくせに,一護の方にばかりああしろこうしろと押しつけがましいことを云う。
一護がそれに従わないと,非は一護の方にこそある,という姿勢に変わった。

勝手にしろ。こっちも勝手にする。
一護はそう腹を括り,散々これ見よがしに目の前をちらつかされていた推薦入試の枠を蹴った。
成績は十分に足りているが,這いつくばってまでそれを欲しいとは思わない。
一学期最後の面談で担任には志望校へは一般受験を考えている,と話してあった。
幸い担任は一護に理解を示してくれる側だった為,ため息を吐きながらも無料の体験講習や模試の案内のコピーを渡してくれた。
今日の模試もその中にあったひとつだった。

電車の到着を告げるアナウンスが,一護の思考を断ち切った。
何はともあれ気分転換だ。
閉じていた目を開けて,左手に視線を向けるとカーヴを曲がってやってくる車両が見えた。

ひんやりとした車内に足を踏み入れると,身体に篭っていた余分な力が抜けて行くのを感じた。
気持ちがいい,と表情が和らぐのを感じながら路線図を見上げる。
終点の国内線ターミナル駅と三つ手前の国際線ターミナル駅,どちらで降りよう。
一護の家の家族旅行といえば,父親が運転する車ででかけるのがほとんどの為実はまだ一護は飛行機に乗ったことがなかった。
それどころか,空港に行くのも初めてだった。
暫く路線図を見上げていたが,どうせなら,遠くへ行く飛行機を見ようと国際線ターミナル駅で降りることを決めた。
目的地まではまだ駅五つ分ほどある。
中途半端な時間のせいか車内には空席が目立つ。しかし一護は開かない方のドアへ身を寄せて外の景色を眺めて過ごした。

途中,地下トンネルを潜り二十分ほどで目的地である国際線ターミナル駅に到着した。
ホームに降り立つと,緊張と不安が綯い交ぜになった心地に駆られたが,表情には出さず表示を確認して改札口へ向かう。

空港の入口手前で「テロ警戒の為手荷物検査にご協力ください」と声をかけられ,筆記用具とハンドタオルしか入っていない鞄の中を開いて見せた。
明らかに旅行に出る人間の格好ではないけれど,訝られることもなく「ご協力ありがとうございます」と呆気なく通して貰えた。
ほっとしつつ,空港内に足を踏み入れる。
フロアマップを確認し,展望デッキは最上階にあることを確認した。

エスカレータで五階に上がり,案内を確認しながら展望デッキへ向かう。
気温と日差しのせいだろう。カメラを構えた人が数人居るきりだった。
自動ドアが開くと,むっとした空気に包みこまれる。同時に,エンジン音が聞こえてきた。

灼熱の日差しの下に出て行くには少し勇気が必要だったが,腹を括って足を踏み出す。
頭の天辺に焼けたフライパンを載せられるような心地がしたが,そのまままっすぐ歩いて駐機場を見下ろせる金網の前までやってきた。

思ったよりもエンジン音が大きく聞こえなかったのは,滑走路まで少し距離があるせいだということがわかった。
それでも,駐機している外国の航空会社のものと思われるジャンボジェット機の機体には見たこともないカラーリングのものがあって面白い。
視線をあちらこちら彷徨わせているうちに,水色の機体がゆっくりと動き出すのが見えた。
金網を掴んだまま食い入るようにその機体を目で追った。
滑走路に入ると,速度が俄かに上がりそれと同時に耳に届く音も大きくなる。
そして離陸。
あっという間に空へと舞い上がった大きな機体を目で追って,気付かないうちに詰めていた息をそっと吐き出した。

飽きることはなかったが,離陸と着陸を一回ずつみただけで暑さに負けた。
モノレールに乗る前に摂取した水分が残らず汗になって出て行ってしまったような気がする。
ふらふらと建物内に戻ると,一番近い自動販売機を探した。

ペットボトルを手に,展望デッキが眺められる位置に置かれたベンチに腰を下ろす。
買った水を少しずつ飲みながら,しばらくぼんやりとした。

もう一度外に出るかとも考えたが,一度汗が引いてしまうと暑さに気持ちが怯んだ。
折角来たのに,と残念がる自分も居たが,熱射病にでもなったら最悪だ。
汗を吹いたハンドタオルを鞄にしまって,ベンチから立ち上がった。

そのままぶらぶらと空港内を歩き出す。
出発までの時間を潰す人や海外からやってきた観光客向けに空港内ではいろんな展示や催し物が行われていた。
よくよく見ていると,それらを見るためだけにやってきている人も結構な数いるようだった。
手荷物検査を受けた時に訝られる様子もなかったことにも納得がいった。
五階,四階は一通り眺めるだけで通り過ぎ,三階の出発ロビーに降りた。
これから旅立つ人が多いせいか,楽しげな空気を感じる。
空港独特のアナウンスを聞きながら自分が旅に出るわけでもないのに,気持ちが浮き立つのを感じた。

空いているベンチに腰を降ろして,行き交う人々を暫く眺めた。
重たそうなカートを押す父親と,その周りをスキップする子どもたちと,嗜める母親。
腕を絡めあったまま,空いている方の手で大きなスーツケースを引きずるカップル。
難しい顔で話しながら足早に通り過ぎるスーツ姿の二人連れ。
そっか,旅行だけじゃなくて仕事で出かける人もいるよな。
ひとりごちて,今更気付いたことに口の端が緩んだ。

老夫婦らしき二人連れがやってきて,ベンチの空きを探すように視線を彷徨わせるのが見えた。
一護の隣が丁度空いていて,自分が立てば二人が座れる。
なので一護は小さく息を吐いて立ち上がった。
いくら旅行に出るでもなく立ち寄る客も歓迎されるといっても,空港はやっぱり旅行客のものだ。
そう思ったから。

老夫婦が笑いあいながら空いたベンチに腰を下ろすのを視界の端に映したままベンチを離れる。
他に空いているベンチを探してもよかったが,そのまま到着ロビーのある二階へ降りた。

こちらは海外からやってきた人や,帰国した人,そしてそれらを迎えに来た人で溢れていた。
開いた自動ドアの隙間をすり抜けるように足早に出てきた女の人にぶつかりそうになり,間一髪でそれを避けると,すぐ後ろで誰かの名を呼ぶ声がした。
ほっとしつつ振り返ると,手に提げた旅行バッグを放り出し,一護にぶつかりそうになった女の人が迎えに来たらしい男の人に飛びかかるように抱きつくところだった。
久しぶりに再会した恋人同士…とかそんなところだろうか。
まるで映画のワンシーンの様だ,と思った。

そこまで派手な再会シーンは一度きりだったけれど,ベンチの空きが出発ロビーより多かった為のんびりと眺めることができた。
行き交う人々のほっとした顔やわくわくした顔。それを不躾にならない程度に眺めているうちに,ひとりの男に目が止まった。
年齢は二十代半ばくらいだろうか。背が高くて,少し猫背だ。
上下とも黒っぽい服を着ている。黒いズボンに黒いTシャツに黒いジャケット。
といってもそれぞれ質感が違うのでどことなくお洒落に見えなくもない。
まるで真冬の月のような淡い色の髪をしていて,癖っ毛なのか,それが四方八方に跳ねている。

その男がいつからそこに居たのかはわからない。
けれど,一護が視線を止めてから,その男は微動だにせず立ち尽くしている。
案内の表示を見るわけでもなく,ただぼんやりと。
迎えを待っているのだろうか。そうも考えたが,一護はその顔色の悪さが気になった。
長めに伸ばした前髪のせいで目元の表情こそわからなかったが,頬の辺りはまるで質の悪い紙のような色に見える。
具合が悪くて動けなくなっているのかもしれない。
そう思うや否や,一護は立ち上がっていた。

男の右斜め前に立ち,おっかなびっくり声をかける。

「May I help you?」

ぼうっとしていた男の瞳が動き,前髪の隙間から一護を見た。
発音が変だったか。それともMay IではなくCan Iと云うべきだったか。
ふたつの構文の違いがどうたったか考えるより先に男と目が合った。

「ハイ?」

返ってきたのは思い切り日本語のイントネーションだった。

「あんた,日本語できんのか」
「まあ一応…」

その返しができる時点で「一応」レベルじゃないだろ,と思ったが,安堵と気まずさが一度に押し寄せて指摘するどころではなかった。
頭半分ほど上からまじまじと見つめてくる視線に逃げ出したい気持ちになりながらも,声をかけた理由を口にした。

「いや,ずっとぼうっと立ってるから具合悪いのかなって」

男はぱちくりと瞬きをした後「よくわかりましたねぇ」と暢気な口調で云う。

「…よくわかったって,具合,悪いのか」
「そう。座っちゃったら立てなくなりそうでどうしようかなって。スイッチ切るにも限界があるってわかってたつもりだったんスけど,ちょっと無理したみたい」

男の言葉の後半は意味がさっぱりわからなかったが,一護の目は確かだったらしい。

「大丈夫か。空港の係員の人呼ぶか。多分医務室とか…」
「あんまり目立ちたくないんスよね」
「そんなこと云ってる場合かよ。倒れてからじゃ遅いんだぞ」
「それより助けて欲しいことが一つあって」

お願いできる?
そんな風に見つめられ,一護は開きかけた口を閉じ,先を促すように頷いた。

「着替え,買ってきて貰えません?」
「は?」
「このままだとタクシーにも乗れないし,かといって自分で歩き回るのはキツイし」

確かに男は手ぶらだった。
だからといって今一番気にするべきはそこじゃねえだろ,と一護が顔を顰めると,男はおもむろに一護の手を掴み,中指の先を自分の左の腿のあたりへと触れさせた。
濡れた感触。
男の手が離れた自分の手を見て,一護は思わず目を見開いた。
中指の先が赤く染まっていた。一護が口を開くより先に男の手が一護の指先を握り込むようにして赤い汚れを拭い取った。

「…とまあそういうわけで着替えが欲しいんスよ」
「いやそれより先に医者だろ」
「フツーのお医者サンに診て貰える傷じゃないんで」

一護は自分が何かとても拙い事態に足を踏み込みつつあるのではないか,と気付いた。

「今さらだけど,厄介事か?」
「それほどでも」
「あんたの基準だろそれ」
「自分のモノサシ以外で事態を測る術を知らないし」

そう云って肩を竦める男を見上げ,一護は小さく息を吐いた。

「服,なんでもいいのか」
「買ってきてくれる?」
「自分で声かけておいて,やばげだからやっぱなかったことにとかできねえだろ。上のフロアにユニクロあったからそこでいいか」
「色はなるべく黒っぽいやつで。あと薄手のタオルがあったら何枚か」
「着替えって下だけでいいのか」
「ぱんつも欲しいなあ。それと靴下」
「どんだけ出血してんだよ。大丈夫なのか」
「あんまり大丈夫じゃないんで,急いで貰えると助かります」

云うなり男は上着の内ポケットから取り出した財布を一護にぽん,と手渡した。

「支払いはそれで」
「見ず知らずの人間に簡単に財布預けるなよ。俺が逃げたらどうすんだ」
「人の財布盗んでトンズラするような子だったらそんな顔してないでしょ」

面白がるような口調に揶揄された心地がして眉間に皺が寄ったが,これ以上問答していても仕方がない。

「なるべく急いで戻る」

そう云って踵を返そうとすると,後ろから肩を掴まれた。

「なんだよ」
「アタシも行きます」
「あんた,自分で買いに行けないから俺に頼んだんだろ」
「買ってきてもらった服に着替えなきゃだし」

一護は男から視線をはずしぐるりと周囲を見回した。

「あそこに多機能トイレがある。そこで着替えれば」
「あそこは駄目。カメラに映る」
「カメラ?防犯カメラのことか。ってなんでそんなもんの位置把握してんだよ…」

顔を歪める一護の肩を掴んだまま,男はひっそりと息を零した。
一護はふと表情を厳しくし「あんた熱もあんのか」と小さな声で尋ねた。

「よくわかりますねン。お医者サンみたい」
「医者じゃねえけど,医者の息子だ。つーかほんとに医務室行かなくていいのか」

顔を覗き込むようにして尋ねると,男は小さく頷き「少しだけ肩貸して貰えたらそれで十分」と云った。
面倒なことになった,と思いつつも,ここまでしておいて見捨てる選択肢は一護にはなかった。
込み上げるため息を噛み殺し,男の負担にならないようなるべくゆっくり歩き出した。
一護は真っ直ぐ手近なエスカレータに向かおうとしたが,男はその奥のエスカレータへと一護を促した。
防犯カメラに映ることを警戒しているのか。
ふと嫌な予感がして,一護は男の服の肘のあたりを引っ張った。

「なあ」
「ハイ?」
「念の為聞いておくけど,あんた」

そう尋ねたものの,先を見失った。
どう尋ねればいいのか。何か犯罪にかかわっているのか。誰かに怪我をさせて逃げているとかではないのか。
否,怪我をしているのはこの男の方だし,どちらかといえば被害者寄りの立場なのか?
それならなんで医務室に行くのを嫌がる。防犯カメラに映るのを避ける?
ぐるぐると疑問が渦巻いて,一護の眉間にはくっきりとした皺が刻まれた。
男は問いかけておきながら難しい顔で黙り込んだ一護を見つめると「凄い,思ったことがそのまま顔に出てる」と感心した風に呟いた。

「人の表情勝手に読むんじゃねえよ」
「ちなみにキミの想像は全部ハズレ」
「……ちゃんと説明しろ」
「この傷は十四時間前に負ったもので,ちゃんとした手当てをする暇がなかっただけ」
「怪我したらすぐに病院行かなきゃ駄目だろ。手遅れになったらどうする」
「仕事柄ある程度の知識はあるんで。それに手当てしていた方が手遅れになるような状況だったんスよ」
「どんな状況だよそれ」

一護の問いに男は答えなかった。
しれっとした横顔をじっと見つめ,一護は更に声を低くして尋ねた。

「仕事柄って云ったけど,何の仕事だよ」
「何だと思う?」

質問に質問を返され,一護は言葉に詰まった。
知るか,と返してしまえば答えを聞けなくなる。
厄介事に巻き込まれた自覚はあるが,自分の現状は可能な限り正確に把握しておきたい。
そう考えて腹を括ると,一護は一番避けたい答えを口にした。

「ヤクザ」
「ぶっぶー」

巫山戯た云い方で不正解を告げられた。
一護が睨むと,男は口の端を僅かに引き上げ「もう少し専門職寄りかな」とヒントをくれた。

「警察」
「ぶー」
「消防士」
「はずれ」
「SPとか?」
「残念」
「自衛隊」
「見える?」
「見えない」

そんなやりとりをするうちにエスカレータが三階に到着した。
視界の右手に目指す店の看板が見える。
一護は男に負担をかけないようにそっとフロアに降り立つと左の肩を掴む男を見上げた。

「はぐらかさないでちゃんと教えろ」

ここまで来たら答えによって放り出して逃げたりはしないから。
そう決意を込めて尋ねると,男は一護の視線を受けとめた後,掴んだ一護の肩に顔を寄せるようにして耳元に囁いた。

「人を――すのがアタシの仕事」

丁度そのとき搭乗開始のアナウンスを告げるインターフォンの音が鳴り響き,男の言葉はそれに紛れてしまった。
しかし一護は,男の唇を注視していた為,その動きを読むことができた。

ヒトヲコロスノガアタシノシゴト。
男は確かにそう云った。
殺し屋,という単語が脳裏を過った。が,しかしそんなものは漫画だの小説だの映画だの,つまり物語の中だけの存在だろう,と。

中指の先に濡れた感触が蘇る。そして赤く汚れた指先が脳裏に浮かんだ。
あんな怪我をしたまま…十四時間も放置したまま,飛行機に乗って移動するような仕事。
一護は自分の中にあった疑問のかたちの空白に【殺し屋】という単語がぴたりと嵌るのを感じた。

reset.