Place To Be





§・§・§



ぴんぽーん。
「人」よりも頑丈なのをよいことに一週間不眠不休で取り組んでいた仕事をやっと片付け,のんびりと風呂に浸かっていると玄関のインターフォンが鳴り響いた。
バスタブの縁に頭を凭れさせ目を瞑っていた一護は,片目を開けて気配を窺ったが,黙殺するべく再び目を閉じた。

通販は頼んでいないし,次の仕事の資料が届くには早すぎる。となれば,やってきたのは招かざる客と云うことだ。
もう少し意識を集中させれば気配を探ることも可能だったが,流石に疲労と眠気が限界だった。
閉じた両の瞼の裏で闇が濃さを増していく。
しかし,完全に眠りに落ちるのを邪魔するように再びインターフォンが鳴り響いた。

ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんっ,ぽーん。

ここまでされれば,気配を探るまでもなく犯人の顔が脳裏に浮かぶ。
一護は眉間に深い皺を刻むと,うんざりしたため息を吐いてバスタブから身体を起こした。
腰にバスタオルを巻いた格好で玄関のロックを解除すると,勝手知ったる風に「さっさと開けぬか馬鹿者!」と罵る声がした。
リヴィングのドアが開き,腰にバスタオルを巻いただけの格好の一護を見るとシンプルだが品のよいデザインのパンツスーツに身を包んだ小柄な女が慌てた仕草で顔を背けた。
そして「乙女の来訪だと云うのにその格好はなんだ!兄様に言いつけるぞ!」と焦った声が。

「人が風呂入ってるとこにけたたましくインターフォン鳴らしたくせに文句云ってんじゃねえよ。着替えて来るからちょっと待っとけ」

不機嫌に掠れる声で言い返すと,小柄な人影の後ろに立つ真っ赤な髪の男が途端に全身に殺気を漲らせた。

「ルキア,誰だそれ」
「紹介は後だ!目のやり場に困るからさっさと着替えて来い!」

両手で顔を覆う格好でそう云われ,一護はやれやれ,とため息を吐いた。
確かにまあ,嫁入り前の娘の眼前に晒していい格好ではないな。

寝室のドアを開けて中へ入ると,バスタオルをベッドへと放り投げ,全裸で部屋を横切った。
下着と部屋着を取り出し,身につけているとドアの向こうでルキアが真っ赤な髪をした男を叱る小声を耳が拾った。

「恋次,無礼は駄目だとあれだけ云っておいただろう。一護は捜査対象ではなく協力者なのだ」
「化けもんには代わりねえだろうが」
「そんな姿勢だとこの先やっていけなくなるぞ。彼らは化け物ではない。種が異なれども,人間同様この国で暮らす義務は全て全うしている。お前のそれはただの差別だ」
「上っ面なんて簡単に取り繕えるだろうが。ルキアこそ油断しすぎだ」

ルキアの背後に控えていることから,十中八九職場に赴任してきた後輩を連れてきたとかそんなところだと思っていたのだけれど,どうやら違うらしい。
そういえば幼馴染が無事試験をパスして同僚となることが決まったとか,前に聞いたような気がする。それか。

レンジ,というのが赤髪の名なのだろう。
礼を失する態度ではあるけれど,ルキアの警戒心のなさは日ごろから一護も気になるところだった為,不快に感じることはなかった。
自分がルキアを攻撃するということは万に一つもありえなかったが,誰も彼もが自分のような性質ではない。
郷に入れば郷に従え。そんな言葉はあれども,社会的少数者(マイノリティ)がいつでも社会的多数派(マジョリティ)に迎合し溶け込むことを望んでいるとは限らないのだ。

あの調子じゃレンジとやらも相当苦労していると見える。
どちらが先輩なのかわかったものじゃないな,と苦笑しつつ,一護は寝室のドアへと手を掛けた。

「恋次,いい加減にしろ。職務については私の方が先輩に当たるのだぞ。一護との付き合いも古い。信用できる相手かどうかは十分に見極めてい……立ち聞きするとは卑怯だぞ一護」
「あのなァ,ここ誰んちだと思ってんだよ。ドア閉めてたって筒抜けだっての」

呆れた顔で云えば,ルキアの傍らでレンジが顔を歪めるのが見えた。

「ルキア,茶ァ淹れろ。そんでそっちの紹介してくれ。用件はその後な」

髪を伝う雫を肩に引っ掛けたバスタオルで拭いながら慣れた調子で命じれば,レンジと呼ばれる若者の全身から敵意…というよりも殺意に近いそれが発せられた。

「人んちズカズカ上がり込んで殺気放ってんじゃねえよ。摘み出すぞ」

茶化す口調で云えば,睨みつける目が更に険しくなる。
こんな一本気で大丈夫なのかねえ,と心配になるほどだ。

キッチンで湯を沸かし,三人分の紅茶を淹れてきたルキアは,ちゃっかりと茶菓子まで運んできた。
冷蔵庫に仕舞ってあった,取り寄せ品のレアチーズケーキが三つに切り分けられている。
他のひとつに比べて明らかに大きい一切れは迷うことなくルキア本人の前に置かれた。

「ルキア,お前なあ」
「このチーズケーキ,一度でいいから食べてみたかったのだ。十番隊の松本副隊長も絶賛していた」

おやつを前にした子どものような顔で云われてしまえば,それ以上咎める気も萎えた。
やれやれ,とため息を吐き,紅茶に口をつける。
ルキアは向かいのソファに腰を下ろしたが,レンジの方はまだその傍らに立ち尽くしたまんまだ。

「ケーキ食うのもいいけど,ソレ」
「ああ,紹介だったな。今度六番隊に配属された阿散井恋次だ。本来なら兄様が連れてくるところなのだが,お忙しそうなので私が代理を買って出た」
「うち来ればケーキ食えるしな」
「それもある」
「否定くらいしろ。馬鹿」
「日々職務に邁進しているのだ。少しくらいのご褒美を貰っても罰は当たらん」
「それをやるのが俺の役目ってのはおかしいだろうが」
「ならば,次に来るときには私オススメのシュークリームを持参しよう。それならば文句はあるまい?」

だんだん話がずれて来ている気がしたが,ルキアとのやりとりはいつもこんな風だった。
最初は装っているのかと警戒したこともあったが,育ちのよさが前面に出ているというのか,表も裏もあったものではない。
兄の白哉にも苦言を呈したことがあったが,これでも仕事の腕はかなりのものだのだ,と逆に自慢されてしまった。

視線をソファの傍らに立ち尽くしている恋次へと向ける。
座れば,と目顔で促すが,睨まれただけだった。
やれやれ。

カップをテーブルに置き,皿に添えられたフォークを手に取りケーキを切り分ける。
一口分に切り分けた欠片を口へと運ぶと,向かいで幸せそうに表情を綻ばせるルキアと目が合った。
本当に何しに来たんだ,コイツ。

「最近はどうだ」
「どうもこうも,ここ一週間仕事しかしてねえよ。なんかあったのか」
「あったから来たのだ。もう少し意識を外に向ける努力をしろ」
「したところで面倒に追われるだけだろうが。率先して面倒ごと起こさないだけ褒めろよそこは」

で,何があった,と目顔で聞けば,ルキアはフォークを咥えたまま傍らの恋次へと目を向け「資料を」と命じた。
足元に置いたアタッシェケースを開け,書類封筒を取り出すとそれをルキアへと渡す。

「ケーキを食べながらする話でもないのだが,仕方がない」

そう零しながらルキアは恋次から受け取った書類封筒を開き,中身を一護へと差し出した。
一護はフォークを皿へと置くと受け取った書類を手にソファの背へと凭れた。
秘匿印の押された書類は厚さにして一センチほどもあった。
最近この界隈で起こっている連続殺人事件の資料らしかった。
被害者と見られる死体の写真も添付されている。
よくて五十パーセント,少ないものだと数パーセントしか残されていない,まさに「断片」だった。
共通項としてはどれもこれもまるで作りもののミイラのように干乾び,よく注視しなければ人の死体とはわからない有様になっている。

「まったがっついて食ったもんだな」
「何か情報はないか」
「だーからここ一週間仕事しかしてなかったっての。全部で何人だ」

全員分の資料が添付されているのは承知していたが,捲るのが億劫だった。ただでさえ疲れ目が酷いのだ。ルキアに目を向けると,小さなため息が零された。

「最初の被害者が発見されたのが今月の二日。最新は今朝,十人目の被害者が発見された」

 脳裏にカレンダーを浮かべ,ひい,ふう,みい,と指を折りながら込み上げる欠伸を噛み殺す。

  「一日一人?」
「恐らくな。発見されていない被害者が居る可能性もあるので断定はできん。ちなみに一人目はゴミを漁っていたホームレスが発見した。他は警邏中の警察官や,住民からの通報。喧嘩をしようと路地裏に雪崩れ込んできた子どもたちが発見したものもある」
「手口の共通項は」
「体液などの残留物はなし。しかし死体の損傷具合がどれもこれも同じときている」
「これ以上ないほど搾り取ったって感じだな。でも十日で十人てのは大食いにも程があるだろ」
「一護,お前のところにも居るだろう。大食漢が」

ルキアの声が強張る。途中から薄々感じていたが,やはり今日の訪問の意図はそれか。

「白崎はどこにいる」
「知らねえ」
「連絡は」
「ここ一ヶ月ほどねえな。でも国外に出るとか云ってたぞ」
「確かに旅券の使用された形跡はある。しかし」

そんなものが意味をなさないことは捜査官であれば新人でもわかる。そうだろう?
そう云わんばかりの眼差しにやれやれ,と肩を竦めると,仕事部屋を兼ねた書斎へ向かい,パソコンのモニタ横に放り出されていた携帯電話を手にリヴィングへ戻った。

履歴を辿ることなく十一桁の番号を入力し,コール釦を押す。そして端末をローテーブルの上に置きスピーカのアイコンに触れた。
呼出音が鳴ること三回。途切れた,と思ったそれは耳障りな雑音にとって変わった。

「なになに一護。どったん?」

タタタタタタ,という連続した音。何かが破裂する音。そして怒号。
遠いが確かに聞こえてくるそれは,尋ねるまでもなく白崎の居場所がこの界隈でないことを告げていた。
一護はルキアへ目を向けて,それから携帯電話へ向かい声をかけた。

「シロ,お前今どこにいる?」
「え,場所?よくわかんねえ。座標でいい?」

云うなり,傍らに居る誰かに向かい英語でここの座標を教えろ,と尋ねる声が聞こえた。
尋ねられた相手は馬鹿を云ってるんじゃない。戦闘中に電話をするとは何事だ。懲罰問題になるぞ!と怒鳴っている。
やれるもんならやってみろ。その首カッ斬って野犬の餌にすんぞボケ,と怒鳴り返す白崎の声に,一護はやれやれ,と肩を竦めてもう十分だろ,とルキアを見た。
ルキアが肯こうとしたそのとき「ごめんちょっと待ってな」と白崎の声が響いた。
そしてそのまま通話が切れる。

「ご覧の通りアイツは関わってねえよ」

沈黙した携帯電話を拾い上げようと手を伸ばすと,画面が点灯し白崎からの着信を告げた。
ただの着信ではなく,テレビ電話だ。
ダメ押しとばかりに通話釦を押すと,砂地用の迷彩服に身を包んだ白崎が「ごめんなー」と手を振っている。
背後の岩の向こうではもうもうと砂煙が上がり,砲弾が着弾する轟音にしばし音声が途切れた。
一護は一度遠ざけた携帯電話を引き寄せると「忙しいところ悪かったな」と詫びた。

「一護から連絡くれるなんて珍しいじゃん。何かトラブった?帰ったがいい?」
「や,いい。そっちの仕事終わったらどうせ戻ってくんだろ。いつまでかかるんだ」
「契約ではあと三ヶ月?本部の見解じゃもっと延びそうだって話だけど,そんなことさせねえよ」

軽い口調だったが,目に不敵な光が浮かんでいた。
その気になれば今日の今日でも戦況を変えてそのまま帰ってきそうな白崎に,一護は苦笑を浮かべて「無茶はすんなよ」とだけ云っておいた。
相変わらず怒号と炸裂音,機関銃と思われる連続した着弾音も響いている。
長電話できるような状況でないことは一目で知れた。なので通話を切ろうとすると,ソファから腰を上げて一護の背後に回りこんでいたルキアが口を挟んできた。

「白崎,この辺りの大食いについて何か情報はないか」

一護の肩越しに携帯電話を覗きこんだルキアに,画面の向こうの白崎の片眉が跳ね上がった。

「ルキアじゃん。一護の邪魔すんなよ。拳骨すんぞ」
「邪魔ではない。任務で来ているのだ」
「お前のことは嫌いじゃねーけど,お前んとこの職場は嫌い。俺使いたいなら一護を通しな。んじゃ切るぞ」

一護,またね。
にこりと笑って手を振ると,そのまま画面は暗転し通話が途切れた。
肩の辺りで深いため息を吐いたルキアが,身体を起こすと向かいのソファへと戻って行った。

「一護」
「契約ではあと三ヶ月だとよ」
「それでは遅い。わかるだろう?」
「ンなこと云ったってアイツはアイツでお前ら人間と正式な契約を結んであそこに居んだ。こっちの事情でそれを捻じ曲げるのはできねえよ」
「しかし!」
「あのな,自分とこの組織の規模考えてみろ。別に『協力者』だって俺だけじゃねえだろうが。功を焦んな」
「功などどうでもよい。今こうしている間にも次の被害者が狙われているのかもしれないんだぞ!」

きれいごとではなく本気の面持ちでルキアは声を荒げた。
一護はルキアから視線を逸らし,傍らに立つ恋次を見た。
眉間に深い皺を刻み,拳を固く握り締めた恋次は一護と視線が合うと,その表情を一段と険しくする。
暴走させるなよ,と目顔で伝えれば,顔を背けられ,舌打ちが響いた。
云われるまでもない。表情がそう告げていた。

膝の上に載せた拳が白くなるほど固く握り締めたルキアへと視線を戻し,一護はやれやれ,とため息を吐いた。

「シロには一応あっちに居たままできる範囲での情報収集を頼んでおく。それでいいか」

それ以上は無理だ,と言外に告げると,ルキアの顔が泣き出す子どものように歪んだ。
それを隠すように俯き「頼む」と苦渋に満ちた声が響く。

「とりあえずこの資料は置いてけや。俺の方でも適当に当たってみるから」

そう付け足すと,ほんのわずかではあったが表情が和らいだ。

reset.