蝶々喃々





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「すきです」

青天の霹靂。
そんな言葉が脳裏を過ぎった。
一護の一番得意な教科は国語だった。
本を読むのが好きで,だから漢字や慣用句,ことわざの類もそこそこ知っている。
青天の霹靂,というのは青く晴れ渡った空に突然激しい雷鳴が起こることから,予期しない突発的な事件が起こることを云う。
まさに今だ。
私のお兄ちゃんに,私の彼氏に,なんてことをするんだ,と詰られたりするとばかり思っていたのに。

すきですって,あんた誰だよ。
そう思ったが,それを口に出しては駄目だということくらいは一護にもわかった。
文句を云われたのなら謝るなり事情を話すなりすればいいが,こんな事態はまったく想定していなかった。

視線を落とすと,ぎゅっと握り締められた拳が見えた。
緊張しているのだろう。一護は困惑した。
何を云えば,どう云えばこの場を切り抜けられるのか。

握り締められた拳が小さく震えている。
下手なことを云えば泣かれそうな気がした。
泣かれるのは苦手だ。悪いことをしている気になる。
どうしよう。どうしたら。
視線を彷徨わせても助けになるようなものは見当たらない。
どうしよう。どうしよう。どうしたら。

気まずい沈黙は重たい鉄扉が軋む音に遮られた。

「あの,スミマセン。閉館三十分前なんでここ締めるんですけど大丈夫ですか」

顔を覗かせたのは,寝癖っぽいくしゃくしゃの髪の下から黒いセルフレームの眼鏡を覗かせる図書館の職員だった。
焦げ茶色のエプロンをかけているのと,他の職員と違って齢が若いので覚えていた。
一護が何か云うよりも先に,女子の方が反応した。

「すみません」

小さな声で詫びると,ドアを押さえる職員を押し退けるようにして立ち去った。
走り去る足音が聞こえ一護が思わずため息を零すと,まだそこに居た職員が一護を見た。

「修羅場?」
「…は?」
「実は今の嘘で。ココのドアね,立て付けが悪くてきちんと閉めるのにコツがいるんスよ。それで,少し隙間が開いてて。誰か締め忘れかなって近づいたら話が聞こえたものだから」
「盗み聞きかよ」
「図らずしも,そんなことに」

一護の八つ当たりを,眼鏡の職員は苦笑で往なした。
それが一護の目には「余裕」と映り「揶揄われている」と感じた。
眉間に皺を寄せ,睨みつけるように職員を一瞥すると,焦げ茶色のエプロンに留められた名札の直ぐ横をドン!と突いて,ドアの隙間に身体を滑りこませた。






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