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§・§・§



雨の日のバスは苦手だ。
車内と外気の温度差のせいで外が見えないバスの中は閉じ込められているような心地になる。
ゆるく握った拳で硝子を拭うと,景色が涙目で見たときのように滲んで見えた。

時刻は十五時半になろうというところ。
いつもと同じバスだけれど,雨で乗車・降車に傘の出し入れで時間を食うせいか,バスは十分ほど遅れていた。

胸の裡に焦りともイラつきともつかない気持ちが湧いて,浦原は窓の外から目を逸らした。
背中を預けたシート越しに伝わってくるエンジン音。
焦ってもイラついてもバスの進む速度は一定で,結局のところ無駄だ。
齢の割りに自制には長けている方だと思う。
可愛げがねえ,とあのひとには云われてしまうのだけれど。

伏せた瞼の裏に浮かぶ彩。きれいなきれいなオレンジ色。
たったそれだけで自然と目元や口元が綻んでしまう。
胸の裡にひろがる温かい,あまい,やわらかい気持ち。

早く,つけばいいのに。
スピーカの調子が悪いのか,罅割れた耳障りな音でアナウンスが入る。

「――次は,空座総合病院前。空座総合病院前でございます。the next to...」

目的地まではまだバス停ひとつ分あった。






「オハヨウゴザイマス」

ロッカ・ルームに制服の上着と傘と鞄を置き,事務室の扉を開けると店長の京楽が自席の椅子にだらしなく座り,顔に週刊誌を載せて眠っていた。

「……顔,痛くないんスかね」

なんでそんな無理な姿勢で。
首を傾げながら近づき,少し揺れたら落ちそうになっている雑誌を取った。
すると眠たげに瞼が震え,髭面が顰められてから目が開いた。

「あー,喜助くんかあ。もうそんな時間?」
「スミマセン,バスが雨で遅れて」
「大丈夫大丈夫。こんな天気だからレッスンもキャンセル続きでね」

ほら,と京楽の指が壁際に置かれたホワイトボードに貼られた予定表を指差す。
一番上の段に講師の名,そして左の列に時間が書き込まれ,それぞれが交わる場所にレッスン予定者の名が並んでいる手書きの紙。
浦原の目が追ったのは左から四列目の「黒崎」と記された列だった。

「…ほんとだ」

十四時半から十五時半,十六時から十七時と二つの欄に斜線が引かれている。

「京楽サン,黒崎サンは」
「一護くん?時間空いてるし,どうせならって上でベーゼンドルファーの調律してくれてるよ。そろそろ終わる頃だろうから,コーヒーでも持って行ってあげたら?ついでにボクにも淹れてくれると嬉しいんだけどなァ」

京楽の言葉の,後半は既に浦原の耳には届いていなかった。











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