路上のソリスト





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地下鉄を降りるとあっという間にむっとした空気に包み込まれて,一護は眉間に皺を寄せた。
背中に回したメッセンジャバッグの中には父親に使いを頼まれた大判の書類袋。中にはレントゲン写真が収められた専用の袋が入っている。
くれぐれもくしゃくしゃにしてくれるなよ,と父親のまるで小さな子どもに注意するような口調を思い出して一護は眉間の皺を更に深くした。


めんどくせぇ,と心から思うものの自分は未だ扶養家族の身であり,その上些少とは云え小遣いをチラつかされたら従わないわけにはいかない。
妙に堅苦しく考えてしまうのは双子の妹を持つ長男という立場と,後は気質からくるものでこればかりは自分でもどうしようもない。
そんなわけで学校から帰るなり服を着替えて嵩張る封筒を背負ってここまでやってきた。


ホームに降り立ち左見右見。
構内の案内板を見つけてそちらへ歩き出す。
降りた駅は地名はよく耳にするものの,その街は一護にとって「オトナが買い物に行く街」もしくは「金持ちの街」とかそんなイメージだった。
案内板にはAからC,更にそれぞれが十ずつに分かれている出口の表示が並んでいる。
その中から父親に指示されたナンバのものを見つけて矢印が示す方へ歩き出した。
案内板に記されたマップに拠ればエスカレータを上がってそう遠くないところにその出口はあるらしい。


改札を抜け,一護が知るどの街よりもどこか優雅な風に見える降車客の間をすり抜けるように出口を目指す。
かったるい仕事はさっさと済ませるに限る。
終わらせたらさっさと帰って駅前のCD屋に寄って帰ろう。
貰ったばかりの報酬の使い道を考え,見つけたA7の表示の下がった階段を一段抜かしで昇り出す。


抜けるような青空。
見上げた視線の先,無彩の壁が切り抜かれたように雲ひとつない夏空が現れる。
眩しさに目を細めると,どこからか音楽が聴こえてくるのがわかった。
弦楽器――バイオリン?
クラシックには詳しくないが,聴こえてくる音に気づくと耳を澄ませていた。
階段を一段昇るごとに音はクリアになっていく。
店先に設えられたスピーカから聴こえてくる無機質な有線音楽とは違う。多分生の音なんだと思う。
どこかで聴いたことがある旋律。
急くような思いで階段を昇りきり,一護はぐるりと周囲を見回した。


弾いている主は見つからない。
一護は目を伏せて音の聴こえてくる方向を探る。
ぐるりと振り返ると,これから向かう先に連絡を入れることも忘れ早足で歩き出していた。


――なんだっけこの曲。
記憶を探っても曲名は浮かんでこない。
当たり前といえば当たり前だ。
クラシック音楽なんて欠伸を堪えて受ける音楽の授業でしか接する機会がない。


あ,居た。
段々クリアになっていく音に引き寄せられるように足取りを速め,視線の先にその発生源を見つけた途端,一護はぴたりと足を止めた。
急に立ち止まったせいで後ろからやってきたサラリーマン風の男がどん,と肩にぶつかる。
すみません,と一護が低く詫びると,男は何も云わずにそのまま通り過ぎた。


頬が熱い。
何やってんだ俺。
奥歯をギリ,と噛み締めながら一護は道の端に避け,それから漸く聴こえてくる音に耳を傾けた。
古びた時計屋の軒先でバイオリンを弾いているのは若い――のかぱっと見はよくわからないが,それでもとにかく一護よりは年長だとわかる程度には齢を食っている男だった。
顔にかかる淡い色の髪のせいで顔つきはよくわからない。
けれども愛おしそうにバイオリンに頬を寄せ,指と弓で音を紡ぐ様は,なんていうか――すごくきれいだった。












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