鎖
-- infrangibleg chain --
――一度生き物を飼うと決めたなら,その生き物の主人になると決めたなら,その生き物の生涯に責任を持たなければならない。その覚悟がお前にあるのか。
祖父の言葉を忘れたことはない。
だから,何よりも大事にしている母の墓参りを見送ってまで一護は男の誘いに乗った。
けれどもそれは,男が「浦原について話がある」そう云ったからで,こんなことをするためではない。
一護はフォークを握り締めたまま,テーブルの向かいで優雅に紅茶を啜る黒縁眼鏡の男――藍染というらしい――をじろりと睨みつけた。
「で,話ってのはなんなんだよ」
「そんなことより,そっちのタルトはどうだい?うちのシェフ自慢のレモン風味のレア・チーズタルトだよ」
はぐらかされている,とわかっていても形勢をひっくり返すだけの手段がない。
一護はフォークをガチ,と噛み締めた後,深々と息を吐いてそれをフォークレストに置くと立ち上がって淡いレモン色のタルトを一切れ皿に取り分けた。
「気持ちいいくらいの食べっぷりだね」
「ケーキに罪はないからな」
「紅茶もどうだい?」
「ミルクたっぷりで」
「じゃあ,茶葉を換えよう」
云ってテーブルに置かれた銀色の鈴を手に取り,優雅な動作で一振りする藍染を眺め,一護は今日何度目になるかもうわからないため息を深々と吐いた。
一体,なんだって――。
この豪勢なお茶会は学校から連れ出された一護が藍染の運転する真っ赤なスポーツカーを駆って尚二時間ほどかかる海辺に建つこの屋敷に連れてこられた後,もうかれこれ二時間も続けられていた。
「ていうかさー」
行儀が悪いのを承知で頬杖をつき,ケーキの最後の一切れにフォークを突き刺す。
それを顔の前に引き寄せてまじまじと眺めてから,一護は不機嫌を隠そうともせず藍染を睨んだ。
「レア・チーズタルトはお気に召さないかな?」
「美味いけど!」
「ならよかった」
「よくねぇよ。目的はなんだ。アンタ,話するとかって人のこと車に乗せておいて,さっきから延々はぐらかしてばっかじゃねーか」
云って口にケーキを放り込み,もっしゃもっしゃと咀嚼しながら視線を更に鋭くする。
口の中にふわりと広がるレモンの風味は一護を幸せにしたが,次の瞬間まったく別の匂いが一護の中に広がった。
粉っぽい甘い匂い。浦原が作るホットケーキの匂い。
それはまったくの不意打ちだった。
浦原が,年に一度だけ作る唯一の料理。
とはいえ粉は市販のミックスだし,それに牛乳とはちみつ,あと卵を加えてフライパンで焼くだけ。
バターとメープルシロップだけは台所を城と心得るテッサイのセレクトで上等なものだったが,それはここに並ぶ豪勢なケーキたちに比べれば,否,比べられる道理もないほどのもの。
きれいなきつね色に焼けるのはいいところ四枚に一枚。
それでも,ミックスを一箱全部使い切って山ほどつくられるそれは,一護にとって特別なメニュだった。
味がどうとか,見た目がどうとかじゃない。
毎年この日,母の墓参りの後ほんの少し不安定になる自分を甘やかすためだけに浦原が作るからこその特別。
一護はかたん,と,フォークをテーブルに置くと「俺,帰る」と呟くように云って立ち上がった。
帰る。帰って浦原に――。
しかし,テーブルに優雅に頬杖をついた藍染は,そんな一護の足をたった一言でその場に釘付けた。
「帰る。どうやって?」
どこか勝ち誇ったような響きを帯びたその声に一護が振り返ると,藍染は手品よろしく掌を翻し,どこから取り出したのか見覚えのある携帯電話を小さく振ってみせた。
「テメェ…」
「危害は加えない。そう約束しただろう?そして僕はその約束を守っている。だから一護,君にも約束を守って欲しいな」
わざとらしく小首を傾げて云う藍染に,一護は腹の底がぐつりと煮えるような心地を覚えた。
藍染の意図が,おぼろげながら見えてきた。
コイツの目的は俺じゃない。多分――。
「その表情,ようやく気づいたようだね。そう,僕は待ってるんだ。彼がここへやってくるのを」
恋人のことを話すかのようなうっとりとした口調。
そして待ち遠しくて仕方がない,というように窓の外に向けられた横顔に浮かぶ甘やかな微笑。
しかし一護はぞくり,皮膚が粟立つのを押さえることができなかった。
胃の底がせり上がり,食べたばかりのケーキを吐きそうになる。
唇を引き結んで奥歯を噛み締めて,その衝動をぐ,と堪えると,藍染が呼びつけたらしい給仕が,新しい紅茶の支度を手に部屋に入ってきた。
「さぁ,新しいお茶だよ。彼がやって来るまで,しばしティータイムと洒落こもうじゃないか」
一護は言葉にならない不安に怯みそうになるのをなんとか堪えると,再びテーブルについた。
学校の裏手から自分が姿を消して四時間。
あの浦原が気づいていないわけはない。
浦原は来る。
しかし,問題はその後のことだった。
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Flying colors // Ritsu Saijo presents
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