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「気がついたか?」
「…………」

降ってきた柔らかい声に瞼を上げると大きな手にそっと頬を撫でられた。
ぼやける視界を瞬きで調節して身じろぐ。軽い振動と窓の外を流れる景色に気がついて、兄の胸に抱かれたままぼんやりと呟いた。

「ここどこだ…?」
「タクシーの中」
「タクシー…?なんで……」
「さすがに気絶したお前を抱えて街中を歩くわけにはいかないからな」

くつりと肩を揺らした正守に、鮮明になってきた頭が記憶をゆっくりと掘り起こした。
ああそうか、さっきまで……と抱き寄せる兄の腕に視線を巡らせる。
いま自分を胸に抱いているのと同じ腕で兄に強引に身体を押し開かれた。
あの路地裏で冷たい壁と兄の身体に挟まれて翻弄される自分に、兄はどこか自嘲のように嗤いながらその行為を『独占欲』だと言った。
それはつまり、あの見も知らぬ他人と自分との短いやり取りを嫉妬されたということで、世間一般的にそれは異常だと言えるのだろうが、あのときの自分は確かにそう言った兄の言葉に歓喜していた。
自分勝手な感情をぶつけられ、身体を蹂躙されながらも、それに震えるほどの喜悦と充足を感じていた。
あんなふうに陵辱されてもそれを『嬉しい』と感じるなんて、自分のほうがよっぽど異常だと良守は視線を伏せる。
でも、悔しいからこの男には言わない。
一生かけて俺を欲しがればいい。いつまでもいつまでも満たされない渇きにその胸を掻き毟っていればいいんだ。
自分ばかりじゃ悔しいから。

「それもこれもテメーのせいじゃねーかよ…」

胸の内に浮かぶ言葉とは裏腹なそれを兄へとぶつける。
苦笑する正守の腕を解いて良守は身体を起こした。

「大丈夫か?」
「ん、もうヘーキ……、…っ!」

身じろいだ拍子に密着していた身体から情事の余韻を嗅ぎ取って、良守は慌てて兄の身体から自分のそれを剥がした。
鼻腔をつく体液の匂い。意識してしまうと途端にそれが濃くなってくるようで、良守は開いたシャツの襟元を掻き寄せた。

「ホテル着いたらすぐ風呂入ろうな。そのままじゃ気持ち悪いだろ?」
「な……ッ、バカ、声デカい!!」

耳元で囁かれているとはいえ、ここはタクシーの中でつまり兄と自分のほかには運転手もいるのだ。
他人の眼があることをまったく意に介していない兄の言動に、良守は慌てて密着してくる体躯を押し返した。

「なんだよ、今更だろ?」
「なにが今更だ!ちょっとはジョーシキに則って考えろ!」

いくら客のプライバシーには立ち入らないのがこの手の業種の鉄則とはいえ、後部座席で和服姿の大柄な男とどこからどう見ても未成年な自分が必要以上に身を寄せていれば訝しまれもする。
だいたい二人とも男だ。それなのに二人きりのときと変わらず兄は頬を撫でたり腰を抱いたり耳元に囁きかけたり……。
気がついてからもそれなのだから、気を失っていた間は何をされたのか想像するのさえ恐ろしい。
気付きたくはなかったが、時折バックミラー越しに好奇心を隠しきれない運転手の視線も感じている。

「妙な眼で見られるって言うんなら、気を失ったお前を抱えて乗り込んだ時点で不審感丸出しの眼で見られたぞ?あれきっとお前のこと『死体かなんかなんじゃないか?』って思われてたよなー」
「なに呑気に笑ってンだよ!兄貴!」

車中で一度も正守のことを兄と呼んでいないことに気付いた良守は、せめてもの言い訳のように『兄貴』と、この男との血の繋がりを主張してみたが、そう言ったあとで余計状況が悪くなるだけだと気付いたときにはもう遅かった。
泣きたいような気持ちで窓に頭を凭れさせる。
早く目的地に着けと胸の内で呪詛のように繰り返しながら、良守は流れていく景色を見つめるフリをした。











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