Chimera
wrriten by 丹斯
「――にやってんだ,アイツ」
どれくらい時間が経ったのか。
知らず知らずのうちにうとうとしていた正守は茶の間の入口で呆然と呟く良守の声に起こされた。
声に続いて足音が二人分近づいてくる。
二人の出方を窺うため,正守が寝た振りを決め込んでいるとすぐ間近で足音が消え「うっわ,コレ酒じゃねーか。……酔っ払って寝ちまったのかよ。何やってんだほんとに」と良守の呆れた声が響く。
「頭領だって疲れてるんだろう」
眠る正守を気遣ってか低められた限の声。
「……俺,アニキの部屋行って布団敷いて来るわ。志々尾,ちょっとここでアニキ見てて」
「わかった」
面倒くせえなあまったく。
ぼやくように云いながら足音が一人分遠ざかっていく。
やがてそれが聞こえなくなると,正守はひっそり笑って顔を上げた。
「…寝たふりですか」
「いや,今起きた」
しれっと嘘を吐くと限は表情の読めない顔で正守を見下ろし,その傍らにそっと腰を下ろした。
「良守のこと,任せたっきりで全然話をする機会がなかったな」
どう?上手くやってる?
重ねて聞けば「まぁ…そこそこには」と歯切れの悪い返事が返される。
「そっか…。まぁ,さっきの様子見てればわかるけどな」
低く笑うと傍らの限の表情が困ったように曇り目が伏せられた。
「別に責めてるわけじゃない。お父さんからも当主からも,あの後見人からでさえ限はよくやってる,て云われてるくらいだ」
「そう,ですか」
元来口数が多いほうではない限との会話はいつも途切れ途切れだ。
それでも自分を慕ってくれているらしいことは気配でわかる。
それなりに目もかけてきたし,含みのない思いで良守の護衛に配することも決めた。
しかし。
ぐつり。
先ほどまで押し殺すと決めていたはずの昏い感情が煮え立つのを正守は感じた。
理性が侵食されていく。
どす黒い悪意が瘴気のように沸き立ち,血液に混じって全身を駆け巡る。
胸が塞がれるような重苦しさを感じて,正守は小さく息を吐いた。
「…良守のことが好きか?」
唐突な問いに傍らの限がぎくりと身体を揺らした。
「好きとか…そんなことは」
途切れた先を補うように「考えたことがない?」と正守が継げばこくり,限が頷く。
正守はすかさず「じゃあ考えてみろよ」と続けた。
「……嫌いじゃ,ないと思います」
長い逡巡の後,限の口から零れたのはそんな言葉だった。
正守は身の内でのたうつあの化け物が牙を剥くのを感じた。
「じゃあさ,アイツの為に命,賭けられる?」
口から零れた言葉は,いつもの自分――夜行の頭領としてのものではなかった。
声も違う。
歪んだ執着に狂う人間のものに他ならなかった。
自分を見つめる限の真っ直ぐな目にそのことを気づかされた。
しまった,と思ったときは既に遅し。
正守は動揺から言い繕うことも出来ずバツ悪く黙り込むしかできなかった。
「……できます」
目を伏せた正守の傍らで,限が硬い声で云った。
「俺は,アイツを守ります。何に代えても,守ってみせます」
決意を秘めた声に,正守は暴れ狂っていた化け物が一瞬にして黙り込むのを感じた。
代わりに胸を塞いだのは言いようのない痛み。罪悪感とも云うべきそれに,顔が歪む。
「……試すようなことを云って済まない」
ぽつり,云った声はみっともなく掠れていた。
限は小さく首を横に振ると「いえ」とたった一言返し「アイツの様子,見てきます」と立ち上がった。
足音も立てずに気配が遠のいていくのを背中で感じながら,正守は両手で顔を覆った。
馬鹿な真似をした。
自分に対して苛立ちを通り越して怒りを感じる。
「守ってみせます」と云った限の真っ直ぐな声音。
腹立たしく嫉ましく殺意すら覚えた。
しかしそんな後ろ暗い思いを吹き飛ばすだけの強さが限の声にはあった。
眩しい。
そう感じた。
「……ちくしょう」
低く呟いて立てた膝を抱くようにして額を押し付ける。
やがて,二人分の足音が近づいてくるのを耳が捉えた。
正守は顔を歪めたまま立ち上がると敷石の上に揃えて置かれていた下駄を突っかけて庭に出た。
そして二人を避けるように犬走りを通って自室に向かった。
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